徒然生活日記

日々の生活で感じたことや誰かのお役に立てるようなブログを目指しています。

食事について

ラーメンレシピ物語

早い時間に飯を食べると夜中に腹が減る。
これは不変でありまごうことなき真理である。
しかし空腹に耐え寝なければならない。
それが翌日の最高の食事へと繋がるのだ。
そのように自らに言い聞かせ、昨夜は眠りへとついた。
昨夜の葛藤があった朝、私は冷蔵庫の中身を見渡していた。
そして天命が下った。
私はラーメンを作らなければならない。
唐突ではあるがここにその調理過程を書き記す。
材料はネギ、タマネギ、ニンニク、ひき肉、卵、海苔、そして市販の生ラーメンだ。
まずはじめに鍋でお湯を沸騰させ、ゆでたまごを茹でる。
また電気ケトルでラーメンスープ用のお湯を温めておく。
その間にネギとニンニクと玉ねぎを刻む。海苔も切っておく。
ゆでたまごの出来上がりを見計らい、そこにもやしを投入する。
もう一つの鍋で麺茹で用のお湯を沸かしておく。
もやしは軽く茹でた後取り出しておく。
残ったお湯でラーメンどんぶりを温めておくのも忘れずに。
フライパンに油と刻んだニンニクを入れる。
香りがついてきた頃に玉ねぎと冷蔵庫から先に出しておいたひき肉と
先ほど茹で上がったもやしを炒める。
そこに塩コショウを少々とウェイパーで軽く味付けをする。
(ラーメンの味が濃いのでここでの味付けはほんのりで良い。)
麺茹で用のお湯が沸騰したと同時に麺を投入する。
1分から2分程度好みに合わせて茹でる。
麺を上げるまでにどんぶりを温めておいたお湯を捨て、ラーメンスープを入れ
ケトルのお湯で溶かして、麺の投入を待つ。
そしてグラスには氷をいれた水。それと箸。
こちらを食卓に準備しておく。
完成が近づいてきている。ここで味見はぐっと堪える。
これも最高の食事には欠かせないのだ。
麺が好みの硬さに茹で上がったところでしっかりと湯切りを行いどんぶりに移し替える。
そこに先ほどフライパンで炒めた野菜と肉をトッピングする。
仕上げに半分に切ったゆでたまごと海苔を乗っければ完成となる。
あとはおこのみで胡椒でも。
食す。最高に旨い。
上に乗った野菜ひき肉炒めからはほのかなにんにくの香りが、それをスープと混ぜると
一段とコクが増してくる。
麺とスープに浸しておいた海苔を同時に食べる。喉に海苔が張り付かないように中止が必要である。
そしてゆでたまごでリズムを作る。
完璧な食事だ。一日はまだ長い。
しっかりと洗い物を終えたら街へ出よう。
洗い物までが食事なのだ。
今日はいい天気だ。晩ごはんは何にしようか。

さっぱりとしたものが良いかもしれない。

夜が楽しみである。

生活

シーン1

寝苦しい日々が続いている。一度寝る時間やリズムが崩れてくるとなかなかもとに戻すのは難しい。

さらに寝なければいけないと考えれば考えるほど眠れなくなるものだ。

こんな時はおもいっきりランニングでもして体を疲れさせてやればすぐ眠れるのだろうけれどこんな時間から走るのも億劫だ。

眠りが訪れるのを目をつむってずっと待っているのだがどうやらすぐには訪れそうにはないのでたいして意味のないとりとめのないことを書くことにする。

最近ではラジオを聞きながら眠るのが習慣になってきている。

昔はよくアルバムを流しながら寝ていたがそれがラジオに変わってきた。

ラジオの距離感は気持ちが良い。ラジオはとても優しい。今の自分にはそれがとてもあっている。

誰かの生活の話を聞き様々な気持ちを馳せる。昨日はこんないいことがあっただとか、週末は何をするだとか、悲しい出来事やそんなニュースに関する様々な意見など世界には生活が溢れていることを実感する。

明日もし晴れれば花火を見に行くつもりだが、天気予報では昼過ぎから雨らしくどうやら予定は変更になりそうだ。

そういえば隅田川の花火は人が多すぎてしょうがないから歩いて見たなとか、地元の花火大会に一緒に行ったなとか昔の話をちょっと思い出したりした。

碑文谷公園や近くの卓球場やダイエーや登戸のスタジオや急で長い坂道やウルトラマンや狭い六畳間や深夜のレンタルビデオ屋。

眠れないとそんな事を思い出したり、あの時飲み込んだ言葉の行方を探してみたりまったく生産性のないことをしてしまうものだ。

文字にすると余計な感覚感情が生まれる。だから文字にすることはためらってしまう。

私はここにいるし、あの日の選択をしなかった私はこの世には存在しないわけで。

今この瞬間を生きていくことを決めたのであってパラレルワールドは現実には存在しない。

明日は雨だったら何をしようか。何か美味しいものでも作って食べたいものだ。

朝はパンがいい。昔と違って寝起きであまり食べ物を食べる気がしないが

パンがあった時はテンションが上がる。コーヒーか牛乳とともに一日が始まるのだ。

生活とは安定なのだと最近思う。変わらない暮らしを私は求めていたのだ。

仕事をして、掃除をしたり、ご飯を作って、たまにどこかへ旅行へ出かける。

そういうものをきっと求めていたのだ。

だいぶ夜も深くなってきたしそろそろ眠りが訪ねてきそうだ。顔を洗って歯を磨いてそろそろ眠ろう。

明日も生活は続く。

野外フェスについて

我が地元北海道で野外フェス、ライジングサンロックフェスティバルが始まったのは確か中学一年生の頃だった。こんな田舎でいっぺんに好きなバンドが見られるなんて

まさに天国のようなイベントだった。しかし中学生の私には資金面でも交通の面、諸々敷居の高いイベントであった。世間一般的にも今ほど野外フェスが認識されておらず当時の私には遠いの世界の話であった。第一回目の面子は今見ても興奮するラインナップだ。

結局初めて行ったのは高校二年生の時だった。さして音楽に興味のない友人に無理を言って着いてきてもらったのだ。どうしても行きたい気持ちが抑えきれなかったのだ。

たこ焼き屋のバイトで稼いだお金を握りしめ会場まで片道四時間のバスに乗り込んだのだ。同じ道内とはいえなかなかに遠いものだ。

とても仲の良い友達だったが二人で旅行にいくのは初めてであったし、さらにキャンプでテントを立て泊まるのなんてすべてが初めての経験であった。

案の定確か、氣志團だったと思うが1発目のアーティストの開始時間に間に合わず、テントは途中でほっぽり出し見にいったのだった。

その後だったか夕暮れのスーパーカーを見た。ちょうどyumegiwa last boyがピンポンで使われた頃だったように思う。野外の夕暮れと音楽は素晴らしいものであった。

友人も興奮していた。

帰ってきてアドレスをyumegiwa last boyに変えるくらいにはハマっていた。

陳腐な表現だが音楽ってすごいなと感じたのであった。

その興奮が忘れられず次の年は友人が更に増え3人で行くことになった。

その後進路がばらばらになり会うことは少なくなったが毎年、お盆には一緒にライジングサンには行っている。

そんな感じでちょっとした同窓会のようになっていった。ライブを全然見ずにバーベキューだけをする年もあったがそれはそれでいいものだ。

生演奏を聞きながらバーベキューなんて最高の贅沢ではないか。

これからみんな結婚したり子供ができたりして、行けたり行けなかったりいろいろあると思いますが、いつだってあそこは約束の地なのだ。

年をとって大分感覚は変わってしまったかもしれないけれどあの時の感動をまた味わいたいのだ。少し曇ったかもしれないレンズで見る景色もそれはそれで綺麗に見えたりするだろう。

結局言いたかったことは音楽も好きだしキャンプも好きだしそりゃあ最高ですよねって話です。

またあの夏を見つけに行こう。なんて。