夏の日の午後
今日はとても暑い日だった。今年、私の住む街は記録的な日照不足であったらしいが
いつのまにやら30℃を超える真夏日になっている。
寒いと寒いで文句を言うが暑いのもこれまた辛いものだ。
ダレるような暑い日とナンバーガールはとても相性が良い。
暑い日がくればナンバーガールを聞きたくなるし、
ナンバーガールを聞くと思い出すのはいつかの暑い日だ。
それはいつかの暑い日なのだ。あったかもしれないし、なかったかもしれない日なのだ。景色はいつも実家の自分の部屋だ。
学校が終わって家に帰ってきてから夕方にかけての陽が落ちるか、その寸前の景色。
古いお下がりの四段か五段のステレオコンポからはCDが流れている。
そこで私はギターを持っていたかもしれないし、誰かのことを思い出したりしていたかもしれない。暑い日になるとそんな風景がフラッシュバックしてくる。
そこに具体的な記憶はないのだ。
夏の体温と風景だけがそこにはあるのだ。
8トラック録音のテレキャスターのサウンドはいつだって私をそこに連れ戻す。
こびりついてはなれない夏の日の風景を今日もまた思い出している。
自意識過剰の15歳のあの夏に感じたぼんやりとした喪失感やセンチメンタリズムは今まで続いているのだ。
あの感覚を思い出している。学校が辛いこともないが特別に楽しいこともない。
だから思い出すのはいつだって2階の角部屋の景色なのだ。
そこが一番の居場所であったのかもしれない。
一番の自分をさらけ出せる好きなものに囲まれた空間。
そこで私は自由だった。ギターを持ってステージに立つ自分を夢想したりCDの音に自分を重ねたりした。
結構本気でバンドマンになりたかった。いつの間にその夢を諦めたのだろうか。
人生一度切りだとはよく聞くが結局、バンドという夢に挑戦することはなかった。
バンドをやるのは楽しかったけれど、自分には才能がないんじゃないかとか言い訳して本気で打ち込むことはなかった。いつの間にか大人になっていたし少しだけ後悔もあるけれど現状に大きな不満があるかと、聞かれればそんなこともない。
あの夏の日の音楽との出会いから私の人生は方向づけられたといって過言ではない。
音楽が好きだから沢山の出会いもあったし、数えきれない思い出もできた。
そして今現在の私がいる。
あの日の私は今の私を見てどう感じるだろうか。
ニヒルを気取ってそんなもんだろうと思ったよとでも言うのだろうか、そう言いながらも少しだけ残念に思ったりするのだろうか。
今日もあの日と同じ暑い夏の日だ。